· 

鍋物と親睦

 冬の味覚といえば、温かい鍋物。日本各地には、海や山の幸を生かした自慢の鍋物がたくさんあります。料理としておいしいだけでなく、皆でひとつ鍋をつつくところが鍋料理の醍醐味。普段は料理をしないお父さんが「鍋奉行」に変身し、あれこれ指図して大張り切りという姿もよく見られます。

 

 鍋物のルーツは囲炉裏(いろり)文化。皆で美味しい鍋を囲んでおなかも心も大満足という楽しみは、いつ頃から始まったのでしょう。実は、鍋物の歴史はあまり古くはありません。庶民が鍋を囲んで今のような形で鍋物を楽しみ始めたのは、江戸時代になってからです。おでんやすき焼き、ちり鍋などが広く普及し始めるのは、江戸末期にさしかかる頃です。

 本来、日本の正式な料理は一品ずつ器に盛られるもので、身分や地位などによっては食事の場所、時間も分けられていましたから、ひとつ鍋を皆で囲んで箸でつつくなどということはありませんでした。

 一方、農村では「囲炉裏」で煮炊きをし、「囲炉裏」を囲んで食事をしていました。囲炉裏の歴史は古く、竪穴式住居の跡にも見られるほどですので、「鍋物」のルーツは、道具としての鍋ではなく、この「皆で囲む」という、囲炉裏での食事スタイルを指すのではないでしょうか。

 

江戸で鍋物大ブーム

 また、「料理物語」(1643年)という江戸時代の料理本には、炊事場で魚や野菜をみそで煮て、鍋ごと食卓に出す「なべやき」という料理が記されています。できたてを熱いうちに食べるおいしさは人々の心を捉え、制度や習慣を超えて大ブームになったことが記されています。囲炉裏にかける大鍋に対して、食卓に持ちだす鍋物を「小鍋膳立て」、略して「小鍋立て」といい、これがいまの鍋物のことになります。江戸時代は、庶民が食を楽しめるようになった時代で、おでんのルーツとなった田楽を出す茶飯屋や、「湯どうふ」や「あんこう鍋」の店など、さまざまな鍋物屋もできました。もちろん、おいしさだけでなく和やかで楽しい雰囲気も鍋物が庶民に好まれた理由のひとつであったと思います。

 

 ロータリー活動、特に北ロータリークラブにおける「囲む」という意味は、誰かが誰かに何かをお願いするときに、お願いされる側が「もてなし」を要求する事を指していて、私自身、浦田幹事より「3回囲めよ!」との指示を受けて、現状はあと1回約束を果たせていない状況です。

 余談になりますが、幕末のヒーロー「坂本龍馬」が暗殺された11月15日の夜は、とりわけ厳しい寒さ故、大好物の「軍鶏鍋」を食べようと準備をしていた矢先、押し入った刺客の凶刃に倒れたそうであります。