卓話 H31.04.03

 

 皆さんこんにちは、今日は卓話ということで異業種である私の仕事に関したお話をし、少しでも発想の交換をしていただけたら幸いだと存じます。

 

 弊社は本業である建設業の「解体工事」と「産業廃棄物処分業」及び産業廃棄物を収集・運搬する「産業廃棄物収集運搬業」の3つの「業」を取得しております。会社は大村市の総合運動公園事業のため、本社及び産業廃棄物中間処理場を黒丸町から上諏訪町に移転しました、元恒石建設が営業していた場所で「山田の滝」の近くです。売上は年間約三億で従業員は31名。県央の解体工事業者では今のところ一番だと思っております。創立は昭和50年であり、本年で44年目を迎え社歴自体は長いのですが、これまでは売上目標や明確な成長ビジョンなどありませんでしたので、社長に就任した時に、五年後の売上目標を5億、十年後の目標を10億へとすべく、組織の再編、人材教育、作業効率の向上などに取り組んでおります。

 弊社の社是は「信」です。信という字を調べると、嘘を言わないこと、まこと、相手の言葉を誠と受け取って疑わない。とあります。人とひとが付きあっていく中で、私が最も重要視しているのが信です。この人ならば信用できる。この人ならば間違いない。そのような人と付き合って行きたいと思いますし、私自身も裏表がなく、信頼して貰える人になるべく、仕事をとおして自分自身を磨きたいと考えており、会社の方向性の大きな柱となっております。

 

 弊社の売りは、自社の職人・重機による解体から、自社トラックによる産業廃棄物の運搬、自社工場での産業廃棄物処理までの一貫した施工による、お客様のコストの低減。及び産業廃棄物の適正処理「コンプライアンス」の徹底です。

 作業場所は県内一円、平戸市生月から南島原の口之津まで、一月には五島への出張、また今月からは熊本県の上天草にも出張しており、お客様が望むのであれば何処へでも対応いたしております。

 

 皆さんは、解体業と聞いてどのようなイメージを持たれているでしょうか?良いイメージは皆無といっていいほどないと思います。以前建設業者は「どかた・どかちん」などと言われ、3K(キツイ・汚い・危険)の代名詞でもありましたが、建設業界の弛まぬ努力により、今では土木作業員と言われ、今では「けんせつ小町」など女性も建設業に参入しやすいような環境となっており、クリーンなイメージを確立してきたと思います。

 弊社は危険が伴う作業ですので、解体業者の標準装備であるかのごとく、荒くれ者や度胸があるもの、腕っぷしに自信が有る者の在籍人数も多く、意識の改革を進めるのは容易ではありません。私は12年前の平成19年に30歳で入社しました。前職が建設業ではありましたが「解体工事業」で無く、上品な私が荒くれ者と意思疎通が出来る訳もなく、一人で社内改革を進めておりました。世間が求める水準の安全管理や、立ちい振る舞いなどを改善する会議を開いても、それに何の意味があるのか?と言われたり、会議をボイコットする社員がいたり、遅々として改革は進みませんでした。しかし、年齢が近い社員に根気強く、今後私がやりたいことや、会社の方向性。会社のありかたを話して行くなかで、私の考え方に同調してくれる仲間が、若手を中心に一人二人と出来てきました。今、その様な仲間が今では13人に増え、会社の成長の為に日夜努力していただき、今、私がいなくても問題なく運営できるまでの会社になってきている手ごたえがあります。やはり、企業は「人材・教育」であると、今更ながらに考えさせられます。

 

 最後になりますが、弊社は「一般社団法人 長崎県建造物解体工業会」という団体に所属しております。その会の池田会長という方と仲が良いのですが、佐世保で会社を経営されており、その会社が大きいものですから色々と相談をさせていただいております。その中で、今後弊社が大きな物件の解体をする際に、弊社が所持していない大きな機会を借用したいと話をしたことがあります。普通でしたらそのような貴重なものは借用出来ないと思いますが、池田会長は「良いよ」と二つ返事でありました。なぜ貸していただけるのか?と問いましたところ、その様な大きな金額の物は中々所有出来るものではないから、困っている会社があるのならば、解体工業会のメンバーにどんどん使ってもらった方がいいと、また今後益々規制が厳しくなるであろうフロンガス回収の技術や許可の取得方法についても、いくらでもノウハウは教えてあげるといった、解体工業会会員・解体工事に携わる者には分け隔てなく情報を開示し、解体工業会の為に働く事をためらわない姿に、ロータリーが提唱する「職業奉仕」なのだと感銘させられました。

 

 まだまだ未熟ではありますが、そのような人物を通しこれからの業界の発展のために、少しでも考え方を変え他人から貴方の会社は大村には無くてはならないよねと言われるよう「一日五分 ロータリー」を胸に、会社・社員を育てて行きたいと考えさせられました。

 ちなみにその池田会長は佐世保東南ロータリークラブの歴代会長でした。

 

本日はご清聴ありがとうございました。

永石 辰巳


卓話 H31.04.03

 

 久々に卓話の時間を頂きました、日本中が新元号の令和の話しでもちきりですが今日は国歌の話をさせて頂きます、と言っても天下国家の話しではなくロータリークラブでも歌っている歌の方の国歌です、因みに令和の語源は1300年前に当時、大宰府長官であった大伴の旅人が催した梅花の宴で歌われた和歌が出自と言われています、諸説ありますが現在の大宰府坂本八幡宮が旅人の住まいであったといわれています。728年に赴任し728年に帰京を命じられますが731年正月に従二位に昇進したものの間もなく病にかかり7月25日に亡くなっています

 一説にはお酒が好きすぎて体を壊したとされていますが、その一面が分かるわかる歌も残しています「中々に 人とあらずは酒壺に なりにてしかも 酒に染みなう」現代訳、人間でいるよりも酒壺になりたいものだ、そうすれば酒に染みていることが出来る。私も共感出来る所がありますが、そんな呑気に出来ないジレンマを持っていたと思います。昭和、平成、令和と三時代を生きることになりました

 

 同級生が少しずつ亡くなる事が増えてきました、健康第一で皆様にはご迷惑をかけると思いますが、自分が出来る事で返していきます。令和の出自は728年大宰府長官に就任した大伴の旅人が自宅前梅園にてもようした宴にて披露した歌の中にありました。初春の令月で、大気も良く風も和やかになり 梅の花は鏡の前に座る美女たちが化粧に使う白い粉のように白く開き、蘭は身に纏う装飾品の香りのように薫っている様子である。

岡富 栄


サンタリー情報 H31.03.27

 

 ~天橋立、舞鶴を旅して~

 もう3月も中旬になるとそろそろ桜が開花する頃になりますが、朝晩はまだまだ肌寒い日が続く中、3月16日土曜日の昼から一泊二日で大阪の姉から誘われるまま丹後の宮津に一泊し、天橋立から舞鶴を散策して参りました。

 

 天橋立は日本三景の一つで、観光地として認知され始めたのは八世紀初頭で、小倉百人一首に 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」 とあります。そして元禄二年、1689年に貝原益軒がある紀行に松島、宮島、天橋立を日本三景と初めて記しています。鉄道、車のない江戸や明治の初め頃までは、寺社に参詣する旅の中でゆっくりとした時の中で、天橋立の景観を楽しんでいたことでしょう。

 泊りの宮津の温泉旅館に着くと天橋立までとりあえず足を運び、松林の砂地を歩いて回りましたが、観光地だけあってここでも人混みで混雑し、中国人らしき外国人の多さにも昨今の時代を反映している様でした。

 まだ春とはいえ風が冷え冷えし、少しばかり散策してからすぐさま退散することとし、お風呂に入ってから一杯と今月でカニも食べ納めの至福の夕べとなりました。

 翌朝は小雨が降る中一路舞鶴へ、今から約30年前当地に赴任したころで日本海側特有の曇天、よく弁当忘れても傘忘れるなと言われたことを思い出しました。

 

 今回は平成20年に国の重要文化財に指定された、旧海軍施設の赤レンガ倉庫群に行ってみることにしました。

 現存する日本の煉瓦建造物の中でも最も古く貴重な近代化遺産で、12棟の赤レンガのうち8棟が国指定となり改装され、市政記念館やイベントホールなど芸術や文化の交流の場として、さまざまなイベントや展示、ものづくり体験などに利用されています。

 内装も洒落ておりカフェやレストランなどもあり、なかでも海軍カレーが人気メニューとなっています。因みに肉じゃが料理はここ舞鶴の海軍で初めてつくられ発祥の地となっています。今や舞鶴の赤レンガパークも全国に宣伝され人気のスポットとなっていますが、こうした歴史に埋もれそうになったところをもう一度掘起こし、再建することによって街おこしに役立てていることを実感し帰路につきました。

牧山 隆雄


サンタリー情報 H31.03.27 

 

 東大阪でのセブンイレブン24時間営業停止のニュースに接して、人手不足による自主的な夜間休業はフランチャイズ契約に違反するため違約金が生じるなど様々な問題提起がなされています。このニュースで24時間営業の是非を一般の方にアンケートされていましたが、この答えに多少奇異な感覚を持ちました。

 

 1割程度の方でしたが24時間営業は当然と答えられている点です。

 この考え方は最近、我々の業界で医師不足という形で問題化していましたが、以前は夕方電話するにも夜分すいませんと切り出したものです。コンビニなどの普及に伴い、24時間の権利意識が台頭するにつれ医師不足が叫ばれるようになったのです。昼間8時間を前提として、夜間は少しの人員を配置していた診療体制に残りの16時間も診療することは当然との風潮が見られれば、これまでの倍以上の人員が必要となるため、この急激な意識変化についていけなかった部分が医師不足などを生み出したと思っています。今では昼間は仕事があるので夕方きましたや、真夜中に受診される方が1週間前から症状があったなど呆れた受診行動が目立っています。

 

 この「当然」と言う意識はインフルエンザが流行した場合の受診行動でも特徴を持ち始めています。簡単な検査キットや対応薬が開発された影響でしょうか?当番医で異常な受診数となってきました。

 もちろん当番医はそれだけの駐車場や受付能力を持たないので、6時間待ち診療や周辺道路の渋滞などが見受けられました。「当然」とう言う意識はその後の市への投書、当番医を増やせなどの意見があり、やはり人手不足を助長しているようです。

 そのような人材不足のなか、政府は働き方改革の名の下に4月より労働基準法の改定が行われます。長時間労働の定義時間の短縮や有給休暇の義務化などが挙げられますが、従業員の権利が保護される代わりに管理職へしわ寄せが及ぶこととなります。時間や業務量は増えた状態で誰がカバーするのかと言う点では、長時間労働は規制が及ばない職種の負担が益々増加すると考えられます。

 

 もう一つ話そうと思っていた内容が文盲です。文盲とは文字通り「文字を読めない事」を指しますが、最近増加しているのは文字はしっかり読めても、その内容が理解できない新しい文盲の人間が増えている事です。業務手順書、いわゆるマニュアルとは過去の失敗を元に作られるものと思います。人間が他の動物と違うところは文字を通して、他の人の失敗経験を共有する事です。ところが「この赤のボタンを押してはいけない」と書いてあって、それを口に出して読んだ次の瞬間、平気で赤のボタンを押してしまう人種が増えています。

 このような人種の特徴は文章がある時に全部読む事なく、キーワードを抜き出し全体を想像してしまうような短絡的発想をする傾向が強いようです。この様な読解力を持つ方は算数などの簡単な文章も読み違えるため理系の問題も苦手とする様です。

 また最近は聞くだけで英語が覚えられる教材などがありますが、一番大切な事はまず日本語なりでしっかり論理的思考を身につける事です。語学を身につけるためには、基本的な国語能力が必要で、背伸びをしても語学は身につきません。業務を安全に遂行するためには、今後読める文盲の対策が必要になるかもしれません。

南野 淳


卓話 H31.02.27

 

 最近は、70歳になり、体力・気力の衰えを感じるようになりました。しかしながら長生きをするためには、健康を維持することが必要ですから、何事に対しても用心するようになり、行動が消極的になってきたと自分で感じています。毎月、給料計算や年度末の年末調整・労働保険の計算申告等の仕事をしていますので簡単には、まだ、ボケることはないと信じていますが、これもあくまで自分の希望です。

 

 私は、2013~2014年度当大村北ロータリークラブの会長を務めさせて頂きました。それまでの私は、教育実習で高校生に社会化の授業で2週間くらい教壇に立ったくらいで、人様の前で話をするということは殆んどありませんでした。 それまでは、本や新聞は、読みはしていましたが、隅々まで読んで頭に残すということはありませんでした。

ちょうど2012年度はまだ新しい施設の計画設計の段階で時間的に余裕がありましたので、自分の知りたいことや興味深い本をたくさん読み、筆者が何を言おうとしているのかを考えながら、新聞は切り抜きスクラップブックを作り、本は要旨をまとめるようにしました。

 そのお陰で、それまで興味のないことでも深く読むことによって、日本国内や世界の出来事や問題等がたくさんあるという事が知識として得ることができました。知っていても、解決しない問題がたくさんあり、たまにはうっとうしい気分になるときもあります。皆さんも同じではないでしょうか。

 

 私は、2011年3月11日の東日本大震災が発生してから、現在の社会のいろいろの問題が多く浮上してきたのではないかと思います。もともと日本は地震大国です、古代から現在まで地震は日本全国において発生した記録があります。そして大きな被害をもたらしてきました。今後も大地震は来ると予測されています。 そこで、一番追求されたのが原子力発電です。

現在すべての原子力発電所が稼動していません。それで国際収支は赤字となり、国は豊かさがなくなっているように思われます。原子力発電の再稼動には新しい厳しい基準を設け、それをクリアすることが必要となりましたが、どこの電力会社もクリアしています。それでも反対する人はいます。反対することは簡単ですが、前向きな考えではないと私は思います。

 何事でも同じですが新しいシステムを導入する場合、100パーセント完璧なシステムは絶対にあり得ません。どこかに必ずリスクが潜んでいるものです。100パーセント完璧でなければ駄目というのであれば、何も新しいシステムは導入することは出来ないと思います。大事なことは、事故が発生したときに被害を最小限に食い止め、システムを継続することができるかどうかにあると思います。

 福島原子力発電所が今度の厳しい基準で作っていたとしたら、災害からの被害はもっと少なくて、多くの福島の住民に迷惑をかけることはなかったのではないか思われます。

 

 ここで話は少し変わりますが、東日本大震災のときの政権は民主党でした、その後自民党政権で阿部さんが首相になりました。阿部首相は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」を三本の矢として、デフレから脱却し、経済成長につなげていくと言って首相を続けています。

阿部さんが長崎の地区大会で講演をされた中に、大胆な金融政策言われたことを覚えていますが、国民は自民党の政策を期待していたと思います。今でも期待している人はおられるとは思います。確かに金融政策で円安になり、自動車や電機製品等の輸出業者はその恩恵を受け、決算が良い会社もあります。しかしながら下請け業者や国民の多くは恩恵を受けていると感じていないのではないかと思われます。

 春闘では、給料のベースアップを推し進めていますが、これに応じきれる企業はごく一部であるのではないかと思います。現在でも、リストラをしなければならない大企業はあります。日産もゴーン会長を据え、大胆なリストラをし、現在の業界上位の座を築きました。私も3年前に介護報酬を引き下げられ厳しい経営を余儀なくされましたが、施設を改築し、売り上げをキープできました。

 私は一気に安部政権への信用をなくしました。年金の引き下げ・生活保護費の引き下げ等が行われ、今後また、多くの社会問題が発生するものと予想しています。

 

 話はまた変わりますが、阿部首相が主導している集団的自衛権の憲法解釈の変更、憲法改正、そして消費税の10パーセントの増税を10月に予定しています。法人税の減税とかの政策を見ていますとどうも私は、どうでもいいことを国民の反対意見を無視して進んでいるように思います。

 私は消費税の増税はすべきであり、食料品等には消費税をかけない軽減税率を採用すべきであり、低所得者に配慮した課税策をすべきであると思います。これでは、国民が期待していた自民党の支持率は下がるのではないかと思われます。

 

 また少し話は変わりますが、今の世の中には、遅々として解決しない問題がたくさんありすぎて、見て聞いていてあまり気分のいいものではありません。子供のいじめ自殺、親による子供の虐待殺人事件、無差別殺人事件、高齢者振込詐欺事件等なかなか後を絶たなく発生しています。

 私は、これは教育や親のしつけの問題であると思います。日本の経済や社会がうまくいくためには、日本人ひとり一人が相手を思いやる優しい心を持つような、心を豊かにする方法を模索していくべき時代になっていると感じる今日この頃です。

 最近、NHKの番組で視点・論点というのがありますが、東京経済大学の教授が講演をしていました。題名は修復の時代をどう生きるかでした。高度成長期に作ったマンション・橋梁・高速道路等のインフラが、50年あまり経過していています。これらを今後管理していかなければならない時に来ています。そのためには、莫大な費用が必要であると思われます。今年の日本の予算は、100兆円を超しています。一方、税収は60兆円です。残りは国債の発行で賄われます。また、国民の所得の格差がますます広がっているように思えます。

 私は、日本の経済成長を少し観察し、足踏みしてでも、優先順位をつけて予算を配分していかなければ、日本の未来は決して明るいものではないと思います。

上田 善行


サンタリー情報 H31.01.30 

 

 昨年1年間会長を務めさせて頂き、いろんな人のものの見方考え方を50数回に渡りご紹介してきましたが、よく考えてみますと自分の体験なり、日頃考えていることについては、あまり触れなかったような気がします。そこで、今日は、思い切って、自分のことについて少し話をさせて頂きます。

 

 小学校の頃は、短期で喧嘩ばかりしていました。いわゆる我儘な性格だったのです。その頃は、友達が居たのかどうかさえ、よく思い出せません。意外と孤独だったような気がします。

 ある時、絵の上手な同級生が、こんなことを話してくれました。「喧嘩が強くても人の気持ちまで変えることはできないよ」と、「もし、人の気持ちを自分に向けさせたいのなら、力ではなく、言葉や態度で仲良くすることだよ」と言うのです。

 私は、雷に打たれました。ということは、人と仲良くするには、言葉の勉強が大事だということ。力は必要ないということ。本当に仲の良い友達をつくろうと思うなら、ちゃんとした勉強をして、ちゃんとした言葉や態度で友達をつくることだと、思うようになったのです。それ以来、喧嘩をすることを止めました。できるだけ人の話を聞いて、相手を理解しようとしたのです。

 

 血液型はA型です。しかし、随分長い間O型とばかり思っていました。なぜ、O型と思っていたかと言うと、私が5歳か6歳のときに、高熱39度越えが3日か4日か続き、どうしても熱が下がらないので、このままではどうせ生きることは難しいのなら、一か八か父親のO型の血液を直接輸血する措置を取ったそうです。それから2日か3日か眠りに入り、奇跡的に命が助かったというのです。 血液型がA型の子供に、O型の父親から、直接輸血したのです。科学的根拠があったかどうか分かりません。しかし、これは本当の話です。今、私の血液型は、A型です。ここで一度死にそこない命拾いをしました。

 もう一度は、長崎市へ原爆投下される昭和20年8月の3ヵ月前に西海市大島町へ強制疎開で引越し、命拾いをしました。 なんと、運の強い男だと思って居ります。そして、あらためて、現在を感謝しております。

時間が短じかすぎると言われそうですからもう一つ「夢のはなし」をしてみたいと思います。

 私の家内は、総天然色いわゆるカラーで夢を見ると言うのです。私は、カラーの夢を見た記憶がありませんので、何とも言えませんが、想像力が豊かな人は、カラーの夢を見るのでしょうか。皆さま如何でしょうか。

 私は、若い時50歳台までは、夢の中で空を飛ぶことができました。両手を上手に動かすことで空が飛べるのです。そして、行きたい所へ行けるのです。今この年(82歳)になってからは、空を飛ぶことはできません。また、夢を見る機会が段々少なくなっていくようにも感じられます。あるいは夢を見ても忘れてしまうのでしょうか。

 夢は願望や憧れが強いとその夢を見ることができるといいます。逆に不安や恐怖心が強いと怖い夢を見ると言います。それでは、眠りの中で見る夢ではなく、自分の将来に対する夢はどうだったでしょうか。夢が叶って現在がある人、夢は叶わなかったけど今は幸せだと言う人、いろいろあるでしょう。

 私の場合、まず、趣味の方で言うと囲碁、将棋の囲碁でして、勝負事は親の死に目にも逢えないと言いますが、随分と家内には迷惑をかけました。一応六段免状を貰うことができました。一応夢が叶ったと言えるのでしょうか。しかし、上には上が居てまだまだ未熟と思っています。

 次に、もう一つの夢は、税理士試験に合格することでした。

25歳のときに受験を始めました。毎年受験して、5科目合格するのに17年かかりました。42歳の時です。県庁に勤めながら、自分に試練を与えたのです。59歳で県庁を退職し、税理士業務を始めて、早いもので22年が経過しました。しかし、一応、目標としたところまでは頑張ったのかなと思っています。

 

 話は変わりますが、ロータリーに入会させて頂き約10年になりますが、今振り返ってみますと、本当に入って良かったと思っています。ロータリーのいいところは、基本的に「利己と利他との調和」いわゆる精神のバランスの中にあり、自分自身の心の修練、自己研鑽を、例会を通じて、深めていく。ところにあると思っています。そして何よりも謙虚で人の役に立つ生き方がその背景にあります。

 こういう考え方ができるということ自体ロータリーの基本精神を「5分間情報」等を通して、自然と学んだ結果ではないかと思っています。そして、そういう生き方をすることで精神的に安定した生き方ができるのではないでしょうか。

 ロータリーの仲間は以上の心の持ち主であり、そのような生き方をする人が大半ではないでしょうか。

庭木 秀男


サンタリー情報 H31.01.30

 

 今年は私をロータリークラブに導いてくれたレンちゃんと他のクラブに積極的に参加して大いにロータリーを勉強しようと話し合っていました。しかし、1月9日の今年最初の例会にレンちゃんが不参加だったので麻生会長に聞くと、なんと退会したというのです。突然で何があったのかビックリしました。その場ですぐ本人の携帯に電話しても出ませんでした。残念としか云いようがありません。何か事情があったのだろうと思うしかありませんでした。

 私は予定通り、大村ロータリークラブと大村東ロータリークラブの例会に参加しました。各クラブとも素晴しい例会をされていて感動し勉強になりました。各クラブの数人の方々とも交流できました。そしてゲストとして歓迎して戴き嬉しく有難い事だと思いました。今後もできる限り出かけて自分を磨いて行きたいと思います。

嶋原 博道


会社活動とロータリー活動 H31.01.23

 

  病気を治すことと、毎日の食事に気を配り、健康に注意することは、基本的に同じであると思います。

 生命を正常に保つためには、食べなければなりません。食べることは、体の細胞を再生させたり、 細胞のエネルギーを得るためには必要なことです。病気を予防するために、毎日の食べ物に含まれる栄養素を考えてバランスよく取る。このことが、体を健康に保つための大切な条件のひとつである、と思います。特に、50歳を過ぎると、身体の老化が進みますので、これを予防するために食べ物を選んだり、食べ方を工夫したりする必要もあります。

 

*性欲・金銭欲と食欲の違い

 みなさんご存知かと思いますが、私は食に携わる仕事をしております。

 会社活動やロータリー活動他、ありとあらゆる活動は、当たり前のことですが全て健康が前提であります。「今までやった事の無い事をする。会ったことのない人に会う。これが若さを保つ一番の秘訣」とは、かの日野原重明先生の言葉です。先生は百歳を超えるまで生きられたご長寿の人であられますが、果たして私たちは百歳を超える事に自信があるでしょうか。

 日々の仕事に謀殺されてつい健康など忘れがちですが、健康な体があっての仕事です。人は同じような事を続けることや、同じような環境にいると、段々と惰性や慣れが生じ活力が湧かなくなるということを先生はお考えだったのかも知れません。

 今までやったことの無い事をするとは、どのような事でしょうか。仕事においては、新しい事に挑戦するという意味でもあり、惰性や慣れを打破するために、改善策を考える事でもあるのかも知れません。また、仕事で疲れているならば、リフレッシュ休暇を取り、旅行をしていつもと違った環境に身を置く事かも知れません。

 研究者であれば、新しい仮説に挑み証明をしてみることかも知れませんし、営業ならば、新規開拓の事を考える事かも知れません。いずれにしましても、なんとなく仕事をしたり生活をしたりする事を、戒めておられるような気がします。

 会ったことのない人に会うとはなかなか難しいのですが、自分が外交的でないと人とはなかなか出会う事が出来ません。人に関心を持ち相手の事に関心を持ってあげる事が大切です。もちろん仕事以外でも出会いの機会はいくらでもあります。自分の殻にとじこもらずに生きていれば、若さが保てて健康を維持出来るという教えであると解釈しています。

 私は、いろんなご縁の中で、今年の7月から当クラブの会長を拝命いたします。今のところ漠然としたイメージはあるものの、特別こうしたい!こうあるべき!といった具体的な考えはありませんが、食を通して会員の皆さんに有益な情報を発信していきたいと思っています。

 

 ところで話は変わりますが、みなさんは「我以外皆我師」/「われ以外みなわが師」という言葉をご存知かと思います。

 小説「宮本武蔵」で有名な作家の吉川英治氏の言葉で、彼の造語、即ちオリジナルワードです。宮本武蔵の「五輪書」にある言葉だとも言われますが、それは勘違いのようで、宮本武蔵は「五輪書」において「万事において我に師匠なし」と書いています。だから、その言葉は後世に受け継がれていないのだと思います。

  吉川英治氏が好んで書かれた言葉に「我以外皆我師」と「生涯一書生」がありますが、私は両方とも大好きです。誰もが知っている戦国武将「太閤 豊臣秀吉」は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていたそうです。だから、彼が学んだ人は、織田信長ばかりでなく、どんな平凡な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。そしてわが主君、信長を討ち取った明智光秀からも、更に多くのことを学び取ったとも言われています。まさに「我れ以外みな我が師」に徹していたと思います。

 

*発想の転換について

  そして、私が在籍している団体で、麻生会長も理事を勤めておられる「大村倫理法人会」には、「職場の教養」という小冊子が毎月届くようになっています。先月12月号に「お客様はわが師」という題目であるタクシードライバーのお話が紹介されていました。

 あるサラリーマンが9月に京都市内でタクシーを利用した際の会話です。「秒速60メートルの台風は、時速にすると新幹線と同じくらい、時速200キロ以上の威力になるのですよ」と運転手は科学的な話を始めました。「運転手さんは工学博士みたいですね」と言うと、かつて乗車してこられた大学教授から教えてもらったことを、そのまま受け売りで伝えているだけなのです、と。

 運転手はドライバー歴44年で、延べ37万人のお客様を乗せてきました。その中には、大学教授以外にも、サラリーマン、芸術家、技術者、落語家、酔った客に至るまで、様々な人が乗車してきたといいます。運転手は人の会話を即座に正確に覚えることが特技だともいいます。「お客様はわが師」という思いを込めながら、ハンドルを握ると言う運転手。学びを天職とする稀有な姿勢に、そのサラリーマンは深く感銘を受けたそうです。私も大きく感銘を受けました。

 改めて自分の身の周りに、気づきや学びはたくさんあるはずなのに、自分は知らず知らずのうちに享受する貪欲さを失ってしまっていたことに、気付かされました。よくよく考えてみると、自分の日常において「お客様」はもちろん、商品を供給してくれる「取引先」、そして「従業員」、「ロータリアン」などなど、自分を成長させてくれる要素は盛りだくさんで、まさしく「宝の山」に囲まれているようなものだと強く思いました。

 そして、学びの足りなかった1年を大いに反省して、毎年掲げる社の新年度のスローガンを「我以外皆我師」に決定しました。

社内において自分を先頭に、周りのありとあらゆるものから何かを学び取る!という強い気持ちを持って新年からは臨むんだ、心にそう誓った新年早々、メンバーの比良君からの賀状にもおなじ「我以外皆我師」の言葉が記してありました。 もうこれしかない!と確信を得たのと同時に、企業活動ばかりでなくロータリー活動においても同様の気持ち臨まなければならないと、これまた強く決意をした次第です。

 

 それと同じく先月に、初めて分かったことがありまして、お恥ずかしい話、私は長いこと「情けは人のためならず」とは、人に情けを掛けてあげる事は、実はその人のためにならない事なのだという意味で覚えていました。ところが有るテレビのクイズ番組で、その格言は人のためでなく自分のためなのだということが本当の意味と知り、人に情けを掛ければ回り回って、自分に帰ってくるという事です。イソップ物語の中の「アリとハト」という物語が紹介され、同じ事なのだと納得をしました。

 その物語は、アリが川で溺れて流されているのをハトが見つけ、木の小枝を投げ助けた話です。ここまでは親切なハトの話である訳ですが、後日そのハトが猟師に鉄砲で撃たれそうになっている事を知ったアリは、猟師の足に咬みつき、ハトは猟師に気が付き逃げる事が出来たというお話でした。ハトはアリに情けを掛けたおかげでそのアリに自分の命を救われたのです。回り回って掛けた情けが自分に跳ね返ってくるというお話です。

 ですから、自分の事ばかり考えていると、他人からいざという時に助けてもらえないかも知れません。基本的に人間は自分の事ばかりを考えがちなので、とても良い教訓だと思います。仕事でも何でも、まず相手の事を思い興味を持って親切に接しておくと、きっといいことが後々あるかも知れません。見返りを期待するような行動は決していけませんが、期待していなければ情けが思いがけない時に帰って来るものだと思います。自分を抑えて、人のために働けば、きっといいことが待っていると思います。まさにWe serve!です。

 

 ロータリー活動の「奉仕の理想」も、私はこれが原点であると捉えて、これまでの人生の中であまり意識をしなかったり、間違った解釈をしたりしていた様々な格言の意味と考え方を、会長を拝命する年にあらためて知ることが出来たということは、まさに今この時こそが「天の時」ではなかったのか!?と、思わずにはいられません。

 

 まだまだ折り返し地点を過ぎたばかりの麻生会長を前にして、次年度のことを多く語るべきではないでしょうし、また しゃべるネタもございません。ただあと5ヵ月余りの間、しっかりと心の準備をして、実務の準備は浦田次年度幹事に委ねて過ごしてまいりたいと思っています。

鹿取 英治