· 

温故知新

 いよいよ昨日から「夏の全国高校野球選手権」いわゆる「夏の甲子園」が始まりました。本日より劇的な復活!を遂げられたお二人も大の野球好き!ということもあって「野球ネタ」で最近世間を賑わしている大船渡高校の話題について、あくまでも私個人の私見ということで触れてみます。

 

 高校野球岩手県大会決勝で163キロ右腕の大船渡・佐々木朗希投手が登板を回避し、賛否両論が沸き上がっている現状はみなさんご存じかと思います。野球評論家の張本勲氏がテレビ番組で「絶対に投げさせるべきだ」などと語り、それについてMLBカブスのダルビッシュ有投手が反応したことに触れ、場外乱闘さながらのバトルを繰り広げているようですが、この件について私は「両方ある」と思っています。

 「張本氏は昭和論で、高校野球とはなんぞやってことを言っていて、肘や肩を壊すかもしれないけど、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン、一人はみんなのために!っていうのがあるんだったら、張本氏の言うことは正しい」と思います。

一方「令和の怪物」と称されるほど素晴らしい高校生のことを思って「今後のことがあって、肩や肘を壊させてはいけない」という意見も凄くよくわかります。

 要するに、両者の意見は全くもって正論であり、メディアやマスコミをはじめとして、必要以上に「二者択一」を煽っているように思えてなりません。張本氏が言ってるのはまさしく昭和の野球論で、大船渡の監督が下した戦略は現代の考え方です。昭和があるから平成があって、当然平成があったから令和があるわけで、だから、今の現代的な考え方の根底には、昭和の残像があってこその高校野球だと思います。

 

 私が高校球児だった頃までは間違いなく根性論の野球があって、でも過去があったから、その過去を少しずつ否定しながら・見直しながら・改善しながら進歩を遂げてきたんだと思います。

『今の時代、これは通用しない。この根性論は通用しない』という決めつけ方には強く違和感を覚えてしまいますし、今の時代、今の時代と振りかざして、かつての考えを一切認めない今の風潮には、本当に首を傾げたくなります。

 「温故知新」という言葉があるように、野球のみならずロータリー活動に置き換えてみても「古きをたずねて新しきを知る。先人の知恵に学ぶこと」はたくさんあると思います。