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雨ニモマケズ

 3月17日(日)はPETSが開催されました。出席された比良君、鹿取君、浦田君、お疲れ様でした。いよいよ次年度が形成されようとしておりますが、今年度もあと3ヶ月あります。各委員長の皆様は報告書を作成するにあたり、計画書に何を計画し、現在出来ていることと出来ていないことを認識していただくよう、どうかお願い致します。

 

 昨日は市内小学校の卒業式で約1,000人が卒業されました。来月からは中学校へと進学され、勉強や部活等で戸惑いながらも成長されていくでしょうし、新たな出会いもたくさんあることでしょう。当クラブの御身内にも卒業生がいらっしゃると思います。若杉事務局員様の御子息、大志郎君も御卒業されましたね。この場を借りて御祝申し上げます。

 私の息子も本日が大学の卒業式です。このあとマンションの解約のため、北九州市へと向かう予定です。

 また本日、SAA岡富君の御子息である岡富正樹先生の御行為により、朝9時から米山奨学生のテイ・ショウさんが将来目標としている特別支援学校教諭を視野に入れ、大村市の「虹が原特別支援学校」へ見学に行っております。この4月から長崎市内で小学校の臨時教師として勤務が決定しておりますが、今後普通教員免許とは別に特別支援学校の教員資格を取得しようと考え、そのためこれまでの奨学金を貯蓄しておりました。改めてその意識の高さに感動させられます。岡富君と正樹先生にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 

 さて本日の会長の時間ですが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の話をしたいと思います。1931(昭和6)年11月、宮沢賢治が亡くなる2年前に書かれた詩です。作者はこの詩で何を伝えたかったのかを説いた龍谷大学の鍋島直樹教授の記事を以前目にしました。この詩の私見は、強靭な精神と肉体を持ち、決して威張らず謙虚であり、人から何を言われ思われようと、信念を貫き、人のために行動する人になってください。と本人の願いを書いたものだと捉えております。 

 しかし鍋島教授は一番言いたかったことがあると言われております。

 

 それは「東に病気の子どもがあれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行って怖がらなくていいと言い、北に喧嘩や訴訟があればつまらないから止めろといい・・・」という箇所です。

 宮沢賢治の弟、清六の孫にあたる宮沢和樹氏(株式会社林風舎代表取締役)が言うには「行って」という言葉が大切で、その場に行き自分の身を置く事が何よりも重要である。と述べられています。更に「行って」という行動は、一方的なものではなく、相互に勇気と絆が育まれることでしょうし、その場に行くと決心してから、または行く道中で様々な気付きや学びがあるでしょう。困っている人や苦しんでいる人がいれば、その人のために自身が出来ることを出来る限り背負い、分かち合う事が「人が生きて」いくって事ではないでしょうか。

 

 私は宮沢賢治の晩年の思想や行動は、まさにロータリー精神そのものだと考えます。私たちが4つのテストやロータリーの目的を実践していく中で、人のために行動することこそが、自身の成長の一番の近道だと確信しております。

だからこそ「一日5分、ロータリー」の実践なのです。