· 

情けは武士の道

 先週言い忘れていましたが、2月27日は大村北クラブの記念すべき日でした。1977年、国際ロータリー認証状伝達式が執り行われた記念日であり。前年の1976年に加盟が認証され今年で43年目、再来年は栄えある45周年を迎えます。1月に実施した次年度地区アンケートの結果にも結論付けられたよう、クラブの中期・長期的なビジョンを明確にするため、更には大村北クラブらしくあるため、これから全会員が意思疎通を図る大切な時期です。改めてクラブの伝統と設立時の想いを紐解き、明確な将来像を描きましょう。

 

 3月に入り感動をいただいた事が多々ありました。1日は大村工業高校の「第55回卒業式」に出席して参りました。大村工業高校の卒業式には4~5回出席させていただいておりますが、今年の松山大治校長の式辞には心から感動しました。江島勝一初代校長が第一回卒業生に送られた式辞を抜粋し、更にご自身の想いも交え55回卒業生にエールを送られたのです。校訓の「技術者たる前に、まず人間たれ」は、「卒業後、技術のエキスパートであるとともに、人の尊敬に値する立派な人格者でなければならない。その中でも他人に代わることのできない個性を持たなければならない」と江島初代校長が第1期生に送られた言葉でした。更に松山校長は、強者・弱者に関わらず、立ち向かう勇気とやり遂げる情熱、そして思いやりを持ってほしい。と言われました。来賓の方々も閉会時は涙を流されていたのが大変印象的で素晴らしい卒業式でした。

 

 また、3日が妻の誕生日でしたので、妻は佐賀のゆめタウンへ、私は米山奨学生修了式に参加してまいりました。今年度16名の奨学生とカウンセラーが1年間の感想と労いの言葉を述べ、喜びと寂しさで複雑な気持ちでしたが、奨学生は次のステージで必ず活躍されると信じております。

 

 さて本日の会長の時間ですが、この感動した出来事のついでに、人と馬の感動の話を思い出し、調べてみました。1932(昭和7)年に開催されたオリンピックの乗馬の話です。有名な話なので既にご存知の方も多いでしょうが、聞いていただければ幸いです。

 1932年7月30日から8月14日までロサンゼルスオリンピックが開催されました。日本人も陸上や馬術、水泳など多くのメダリストを生んだ大会でもありました。今日話すのは馬術競技7名の選手の中から、総合馬術競技耐久に出場した城戸俊三さんと愛馬「久軍」の事です。総合馬術耐久とは、山野22マイル(約32.3km)のコース中に50箇所の障害を越えるという過酷な競技です。その前に7月の開会に先立ち、5月28日から船で馬とともに2週間以上をかけて渡米した記録がありました。精神・身体ともに疲労もあったでしょう。しかし城戸選手と愛馬「久軍」はトップを独走し、残りあと1%。誰しも金メダルだと確信する中、馬が転倒した理由でもなく、落馬したわけでもなく、城戸選手が急に馬を降り棄権し、歩いて馬を引き退場した姿に観客はみんな驚いたそうです。

  理由を聞くと、残り2Km弱の距離とあと1つの障害を越える手前で、愛馬の異常に気付いたそうです。鼻孔が開ききり全身から汗が吹き出ていた事で、既に限界だと思った城戸選手は、ここでムチを入れると愛馬を死なせてしまうと瞬時に判断し下馬したそうです。更に城戸選手は「私が下手で馬に申し訳ないことをした」と話された記録がありました。

 

 金メダルという最高の栄誉や成績、国の威信をかけて挑んだ五輪でしたが「かけがえのない生命がなによりも大切だ」と根底にあったのでしょう。退場する様子は、城戸選手は愛馬「久軍」のタテガミを撫で、久軍は城戸選手の胸に鼻をあて「ごめんなさい」と言っているように見えたそうです。このことをアメリカ人道協会が敬意を表し、カリフォルニアの「友情の橋」とロス郊外のリバーサイド・ミッションイン教会へ記念碑を建てました。その銅板には「情けは武士の道」と日本語でも刻まれているそうです。

 自分の結果や成果はもちろん大切ですが、その時々に何が1番大切なのかを常に念頭において行動することを1人の人間と1頭の馬に学ばせていただきました。この伝説は今でも世界中で語り継がれています。

 

 もし私だったら優勝を目指し、金メダルを掲げ帰国していたでしょう。しかし城戸俊三さんは金メダルよりはるかに貴重で世界中が感動する成果を残されたまさに本来のオリンピックの姿だと思います。来年の東京オリンピックはどのような五輪になるのか今から楽しみですね。